1974年 鳴らずのオルガンとの出会い
辻氏が、ポルトガルのオルガン建造家会議の帰途に立ち寄ったスペイン・サラマンカ大聖堂。大聖堂のオルガンは演奏不能なほど痛み、見るもみすぼらしく、古ぼけた楽器であった。しかし、風を入れ、音の出る数本のパイプを気軽に試したとき、辻氏は驚いた。香りたつ、高貴な音の美しさに体が慄えた。生涯忘れることのない「音」との出会いであった。
1986年 オルガン修復への情熱が受け入れられた瞬間
辻氏はいつの日かこのオルガンを自分の手で修復することを夢見て、熱心にその可能性を打診したが、国宝級のオルガンを日本人に任せることには反対が多く、許可は下りなかった。待ち続けて10年以上が経ったその日、サラマンカから公式の朗報が入った。辻氏のイタリアでのオルガン修復の経歴が大きく認められ、待ちに待った許可が出たのだ。ただし、巨額な修復資金はすべて日本側が提供するという難しい条件が付いた。
1988年 ビクトリアノ神父との信頼関係
ビクトリアノ神父は大聖堂のオルガンを最も厳しく外部から守ってきた人である。修復したいという辻氏の願いを真っ先に拒絶し、疑い深く見つめた人であった。しかし、毎年面会を重ねるうちに、信頼と理解を深め、修復反対派の前に立って説得をしてくれた。そしてビクトリアノ神父は辻氏に1枚のサイン入りの名刺を渡した。
「私はこの人にオルガンを扱うすべての許可を与える」
――1988年9月9日のことであった。
1989年 ほこりにまみれた修復作業
サントリーホール・岐阜県美術館での寄付コンサート、財界、企業、岐阜県の方々の広い理解と協力で、修復資金の全額が整い、修復が始まった。作業は数百年の間に積もった埃の除去から始まった。辻宏氏らは、目もくらむ高さのオルガン最上部までよじ登った。そこにはキリスト教と木彫多彩色の天使像10体がラッパを持って立っていた。柔らかいハケでそっとほこりを取ると、いたずらっぽい天使の表情が見えた。その指先、爪までが愛らしく彫られピンク色をしていた。辻宏氏は忍耐の作業の中で美しい音を創った職人の技を見て敬服した。
皇后様の陰のご支援
美智子皇后にとってスペインは思い出深い国である。1973年の公式訪問時には有名なサラマンカ大学の学生たちがマントを脱いで歩道に敷き歓迎の意を表した。若きプリンセスの美智子様は恐縮しながらその上をお歩きになったというエピソードが人々に語り継がれている。
オルガンの修復では皇后さまの陰のご支援が実を結び、元駐スペイン大使の林屋永吉氏も加わり修復実現に向けた大きな力となった。
1990年 天使の歌声 ─400年前の音色が蘇る
修復開始から約8ヶ月、1990年3月22日に修復作業が終了。スペイン国営放送と日本のNHKが協力し、修復作業過程を含めた2時間の特別番組を衛星テレビ放送で日本とスペイン語圏各国に同時放送した。
1996年6月、辻宏氏は、スペイン国王ホワン・カルロス1世よりイザベル女王勲章・エンコミエンダ章を授かった。
そして、岐阜とサラマンカの友好の証 ──サラマンカホールが誕生
県民の待望であった音楽専用ホールが岐阜県に建設されることとなり、そのシンボルとして、サラマンカ大聖堂の修復されたルネサンス・オルガンの複製を含む46ストップのオルガンを設置することとなった。
サラマンカホールは2つのまちの交流の証として誕生することとなった。
もう一つの友好のシンボル ─石造レリーフ
スペイン様式のパイプオルガンと共にサラマンカホールのシンボルとなっている三体の石造レリーフ。モチーフとなったサラマンカ大学とサラマンカ大聖堂の正面入口の石彫りは、銀細工のように華麗で繊細なプラテレスコ(銀細工)様式の代表作である。
石材も
現地と同じビジャマジョール石を使い、サラマンカの8人の石の匠が3年の歳月をかけて彫り上げた。
3体の天使像
オルガンの上に設置されている3体の天使像は、サラマンカ出身の画家アンヘル・ポヴェーダ夫妻、サラマンカのトマス・ルイス・デ・ヴィクトリア合唱団、白川町ピストイア友好協会、白川町夫人有志、その他の方々により寄贈されたもので、
サラマンカ大聖堂のオルガンに飾られている天使像を参考にスペインの工房で制作された。サラマンカのパイプの数は2,997本、これに天使たちが持っている笛を合わせるとちょうど3,000本。天使たちの笛は私たちの心にだけ届く音色を響かせている。
岐阜とサラマンカを結ぶもう一つの縁
ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスによる『日本史』記述の中に、「天正9年(1581年)、グレゴリオ・デ・セスペデス神父、日本のパウロ修道士とともに美濃国に布教する」とある。セスペデス神父は1564年にサラマンカでイエズス会に入会、その後、遠い日へ旅立ち、禁教の中で活動し九州で殉教の死を遂げている。イエズス会の神学校は今もサラマンカ大聖堂の向かいにあり、彼は大聖堂のルネサンス・オルガンを聴いていたにちがいない。